旅程表。クリックすると大きくなります。 |
旧金比羅大芝居のポスター。 |
切符の袋 |
朝 7:50発JALで高松空港に到着。テケのホッとしている顔を御覧下さい。 マイカーで来た湘南組は拡張した羽田で迷って飛行機のドアの閉まる直前に飛び込んだそうです。 高松空港に今立っている事が奇跡!! |
そして旅程表通り、高松空港に迎えに来てくれたシャトルタクシーで一路琴平町の琴平グランドホテルへ。金刀比羅宮の表参道の22段目のすぐ脇に位置して、しかもこんぴら歌舞伎の劇場である「金丸座」の隣という便利さ!こんぴら温泉華の湯「桜の抄」と別名を付けていて、確かに大浴場の露天風呂には色とりどりのバラの花を浮かせていましたっけ。
桜の抄 |
桜の抄の玄関前で。 |
更にその玄関前の道は「金丸座」へと続いています。 |
これはホテルのロビー。到着したのが10:00頃だったので、14:00までチェックイン出来ませんから、荷物だけ預けて早速金刀比羅宮にお詣りに。 |
歌舞伎見物の15:00まで、たっぷり観光の時間があります。JTBから無料讃岐うどんクーポンや、名物灸まん(伊勢神宮の赤福と同じくらい、この土地の古くからの銘菓)お茶券、ソフトクリーム試食券等、沢山の特典の付いたパンフレットも、もらっていますし。
金比羅さんは本殿まで長く長く続く参道の石段が有名です。ここが22段目の踊り場。ここはゆるやかですが、途中から急な坂になり、本殿(御本宮)までは785段。更に奥社までは1365段です。 |
何故「森の石松」?? 金比羅さんは江戸中期には全国の庶民の間へと信仰が広がり、伊勢神宮へのお陰詣りに次ぐ庶民の憧れでした。そこで歴史上の有名人も沢山参詣しているのです。 |
東京を出る前に、ある友人から「行きはよいよいだけど帰りの下山は相当膝が笑うから駕籠(かご)に乗った方が良いよ」とアドバイスを受けていたので、私だけは駕籠に。その乗り心地の良さに感動しました。 |
こんな急な坂道ですもの。 |
ところが365段目にある大門で降ろされてしまいました。ここより内が境内で、神聖な場所なので「御駕籠禁止」で入れないそうです。(頼む前に教えて欲しいわね~。まだ半分も来ていないのに往復6200円ですよ!) |
そんな訳で、ここからは杖をついて歩きます。 |
「笑顔」で頑張りましょう! |
先へサッサと登っていった友人達を捜しながら行くと、475段目で名物の「こんぴら狗ゴン」の像を見つけました。参詣者が皆、頭を撫でるからツルツルに変色しておびんづるさんみたいです(笑)。 |
アラアラ、重要文化財「表書院」の前で友人達が私を待っていてくれました! |
1659年に建立された書院造りの建物。中には円山応挙の90面もの襖絵や伊藤若沖、明治時代の邨田丹陵の源頼朝の富士の裾野の鹿狩りの襖絵等、見応え充分。前庭には松・桜・柳・楓が植えられた鞠懸が設けられて、金刀比羅宮の別当が諸儀式や参拝に訪れた人々との応接の場として用いた客殿があります。 |
円山応挙の襖絵。 上から鶴の間 七賢の間 虎の間 山水の間 上段の間(瀑布=滝) |
「旭社」に至る石段から見る境内が美しい。 |
628段目の「旭社」 |
建物全体に彫刻が施されている。 |
「旭社」の側の「神饌殿」。天皇陛下の捧げられた御神饌がありました。 |
さぁ、ここからが最後の難所の階段を登ると「御本宮」です。 |
海上交通の守り神として信仰されてきました。 |
御本宮から登ってきた石段を見下ろすと迫力でしょう? ここから更に1365段の「奥社」までは行く気がしません! |
名カメラマンのワンチャンが「南渡殿」あたりを熱心に撮影。 |
その写真がこれ。 |
この「神楽殿(かぐらでん)」も。 |
本殿の脇の高台から眺める「讃岐富士」(飯野山) も。ワンちゃんは構図が上手ね~♪ |
私のは芸術写真でなく、観光写真。 |
讃岐富士は本当に小さい富士山のようでした。
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下山して再び大門へ。「五人百姓」と呼ばれる特別に境内での営業を許された5人の女性が、笹屋の黄金色の加美代飴を売っていて、金比羅さんの名物になっています。 |
飴売りの露店がどうして「五人百姓」と呼ばれるのでしょうね? |
大門をくぐって再び参道へ。 |
お昼時になってお腹も空いたので、無料クーポン券と提携している讃岐うどんの店「てんてこ舞」へ。 |
ぶっかけから汁うどんまで、種類は豊富。 |
次から次へのお客さんで、カフェテリアのようにお盆を持って流れ作業です。 |
店内は江戸時代の情緒を残す、中々風情のあるお店でしたね。天井からのランプが面白いですね。御膳の二段重ねですよ。 |
私達は汁うどんにかき揚げを載せました。150円追加。 |
これが汁うどんと揚げたての天ぷら。かき揚げは「なんでもだし醤油」をかけてサックリ頂きました。 |
次はデザートに灸まんの店へ。昔旅宿だった石段屋で客の疲れを癒す為に据えたお灸が評判になり、そこから出来た名物の饅頭です。
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沢山歩いたので甘い物にホッと一息。 |
灸まんと羊羹のセット。両方ともさすがに長い年月支持されてるだけあってとても美味でした! |
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14:30になったので、いよいよお目当てのこんぴら歌舞伎の「金丸座」へ。 |
石垣の上に金丸座はあります。 |
畏れ多くももったいなくも、皇太子殿下御夫妻も過去に御見物にいらしたみたいですね。 |
これが金丸座の正面。1835年に建てられた、現存する最古の芝居小屋で、2階建て本瓦葺きの堂々とした建物は国の重要文化財に指定されています。 |
これが側面。 |
その逆面。 |
そして木戸。入口ですね。 |
当時のままの雰囲気の舞台、桟敷席、花道、そして天井には顔見世提灯(役者の家紋提灯で出演者が分かる)等々。私達は花道の左(火箸)、一番外側の6人用の桟敷席でした。(東桟敷5) |
2階は「前船」と呼ばれる席で、復元された天井は「ぶどう棚」と呼ばれる500本の竹で編まれていて、「紙吹雪」を散らす事が出来ます。 |
「金比羅大芝居」の看板が、日本最古である誇りを示している様で、「せり」や「廻り舞台」、「奈落」等、演出上の操作は全て地元の保存会の人の手作業で行われています。 |
天保6年に建てられた金丸座は、当時は全国から多くの参詣客で賑わいを見せていた「こんぴらさん」で年に3回(3月、6月、10月)催される会式の際の最大の楽しみとして、芝居興行がそれまで仮設小屋で行われていたのを、大阪道頓堀の大西芝居を模して常設の許可が下りて建てられました。
しかし時代は移り、近代以降、人々の娯楽の変化で興業は衰退し、廃館のまま小屋は荒廃が進み朽ち果てかけていましたが、地元で保存運動が始まり、国を動かし、昭和47年から4年をかけて現在の場所に移築、復元されて外部構造は耐震になりましたが、内部は天保の時代そのままに甦りました。
「千両役者」とは、天保6年に完成した金丸座の舞台に立った役者の事を言ったそうです。もしかして建設費が千両だったのかしら?
坂東玉三郎が得意とする地唄舞「雪」と「鐘ヶ岬」の美しさに酔いしれ、勇壮な鼓童の「いぶき」に圧倒された芝居見物も終わり、出てくると既に提灯に灯がともり夕方になっていました。
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ホテルに帰る途中に、やはり重要文化財に指定されてる「木造」の「琴平町公民館」があったので覗いてみました。 |
御覧の通り、都会で目にする公民館とは全く風情が異なる建物です。 |
金比羅歌舞伎上演中は保存会の人達の控え室の役目をしている模様で、まだ開館中でしたから、職員の方が親切に内部を見せて下さいました。天井の造りと言い、ランプ(シャンデリア?)と言い、立派な風格でした。 |
堂々たる木造の公民館でした。金丸座で案内係をしている「お茶汲み」と呼ばれる着物姿の女性の係の方達が何人も出入りしていました。
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ホテルに戻ったのが18:00を過ぎていたので、お風呂を後にして先に夕食のテーブルにつきました。 |
「ゐきり」と言う炎の滾る様を強調したオープンキッチンのある食堂です。
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こちらが前菜の数々。歌舞伎公演中ならではの演出。 |
こちらが御献立です。
瀬戸内海で獲れる新鮮な魚貝と、炎で炙る和牛のステーキが自慢の御献立。
進肴にさぬきうどんの選べる一品、そして炊き込み御飯がなかなか美味でした。
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となると、一献傾けたくなりますよね! |
テケと私は下戸なんです。 |
鯛やスズキのしゃぶしゃぶも出ましたっけ。 |
かろうじてバッフェの朝食の一部を撮りました。和と洋の豊富なラインアップでした。
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翌日の徳島県の旅が続きます。
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